ヤモリ、カエル、シジミチョウ 江國香織 感想
この題名を一目見ただけで、かなり癖のある物語の予感がした。
折しも、子育て中の友人の家の訪問を終えてすぐに、成り行きで立ち寄った書店で目にしたことあって、勢いのまま購入。
案の定、まさに不可思議な世界観を垣間見ることの多い物語だった。
危ういバランスにある家族において...。
ためらいなく恋人との時間を優先させる父。
その帰りを思い煩いながら待ちつづける母。
両親の狭間にて、知的で責任感の強さから、内心葛藤しつつも、内向きな弟を懸命に庇護しようとする姉・育実。
その弟とは、5歳ゆえか言葉の発達の遅さのために、周囲と同じようには溶け込めない反面、虫と話ができる幼稚園児の拓人。
11月7日金曜日に、朝日新聞出版より発売された江國香織の最新刊『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』は、まさに続編かスピンオフの物語でもあるかのような終焉だった。
拓人が両親と姉・育実以上に近しさを覚えるのは、ヤモリやカエルといった小さな生き物たち。
彼らは言葉を発さなくとも、内向きな拓人には意思の疎通ができる世界の住人。
観察力の鋭さと感受性の豊かさが、虫の発する音とか気配のようなものへの文字化、実験的とも言えそうで...。
そのことあって、近隣の自然とふれあいが、拓人だけの特別な世界であるかのようにゆるやかに成長させてくれて、やや冷えそうな心を温め直してくれるかのようで、嬉しい気持ちに...。
以上を象徴するかのように、拓人の描写のみ全部ひらがなとカタカナによる表記、なぜか微笑ましかったかなあ。
そして、終盤における一般の文字表記への変化。
拓人が少し成長して、そういう能力が薄らいだかのようで、"大人への通過儀礼"(?)ということなのかもしれないや。
その終盤に近づくことに、家族をはじめ、近くに住まう大人たちの事情にも比重が置かれることになって...。
しかも、恋人との浮気に身を任せる父と、許さないながらも心の奥底で愛する母、といった決して穏やかではいられない日常...。
そんな大人の身勝手に翻弄される中でも、拓人の発するほんの短い間だけ持つ魔法のような力の輝き、大人の心をいくらか動かしたことは、希望の光の差し込むかのようだった。
そして、終盤...。
5行の中において、拓人と育実が成人して....。
回想後、物語は完結。
その後、二人が、どのように成長していったのか、家庭問題は解決したのか、どうかさえも書かれていないまま。
いずれにせよ、強く実感することは、どこかで区切りを付けて前へ進まなければなければならない時がくる、ということ。
それは本人の自覚次第。
言葉・知識・知恵・技術においての習熟の速さの遅さの度合いのあれ、人間は段階とともに成長するものだから。
好む好まざる関係なしに、否応なく実感させられる"大人への通過儀礼"か...。
考えさせられる。
2014-11-16 |
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