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マララ・ユスフザイ 本








マララ・ユスフザイ 

すべては、前年2014(平成26)年10月10日金曜日のノーベル平和賞を受賞した、パキスタン出身の女性でフェミニスト・人権運動家であるマララ・ユフスザイさんによるこれまでの歩み、と言っても過言じゃない。

まさに、未来の子どもたちへの教科書。



まず、これまでを振り返ってみれば、


1997(平成9)年7月12日、スンニ派の家庭の生まれ。

名前の由来は、パシュトゥーン人の英雄であるマイワンドのマラライから。

誕生早々より前へ進み始めていたことはもちろんのこと、特に地元で女子学校の経営に尽くす父親の影響は大きかったんだろうなあ。


運命の時は、2007(平成19)年。

武装勢力パキスタン・ターリバーン運動(TTP)が、一家の住むスワート渓谷の行政掌握に伴う恐怖政治の始まりから。

特に、女性に対しては教育を受ける権利を奪っただけでなく、教育を受けようとしたり推進しようとする者の命を優先的に狙うような状況に。


本人も怖かっただろうけど、父親の強気な姿勢からの影響が勝っていたことには、敬服。


意を決したのは2009(平成21)年、すなわち11歳の時。

TTPの支配下にあったスワート渓谷で恐怖におびえながら生きる人々の惨状を、BBC放送の依頼でBBCのウルドゥー語のブログにペンネームでの投稿を通して、ターリバーンによる女子校の破壊活動を批判、女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続け、英国メディアから注目されることに。

なお、マララとしては、イスラム世界における初の女性政府首脳である元パキスタン首相ベーナズィール・ブットーに刺激を受けたとのこと。

一方で、アメリカのパキスタンに対する軍事干渉には批判的な見解を示し、後年の2013(平成25)年10月にアメリカのオバマ大統領と面会した際には、無人機を使ったアメリカのテロ掃討作戦の中止を要望することも。


ほどなくTTPがパキスタン軍の大規模な軍事作戦によってスワート渓谷から追放された後、パキスタン政府による本名の公表へ。

「勇気ある少女」として表彰したとのことだけど、失礼ながら、公表は本人の意志なのかなあ。

それが事実ならば、かなり肝が据わっていたんだろうなあ。

その後、パキスタン政府主催の講演会にも出席し、女性の権利などについて語っていたことを知った、TTPは激怒。 命を狙われる存在に。


そして、2012(平成24)年10月9日火曜日の銃撃事件。

この時のマララは15歳。

通っていた中学校から帰宅するためスクールバスに乗っていたところを、複数の男から銃撃。頭部と首に計2発被弾、一緒にいた2人の女子生徒と共に負傷。

TTPの「女が教育を受ける事は許し難い罪であり、死に値する」との主張、未だ理解しがたし。


自分を強く持っていたからこその幸運あってのことか、奇蹟的に生還。

それは、2013(平成25)年1月9日水曜日のシモーヌ・ド・ボーボワール賞の受賞、同年7月12日金曜日の国際連合本部での教育の重要性を訴える演説へ。

国連は、マララの誕生日である"7月12日"を「マララ・デー」として制定。

同年10月10日木曜日にはサハロフ賞の授与へ。


まさに波瀾万丈。



学校に通い始めてからの紆余曲折、改めて肝に銘じておく必要あるだろうなあ。


まず、2013(平成25)年12月3日火曜日発売の『わたしはマララ:教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』(学研マーケティング)。

女性に教育を受けさせることはタリバンの教義に反する、という不条理にもどかしい思いを抱きながらも、11歳の時のラジオのインタビューでの答えは、ある意味痛快だった。

「もしわたしがあなたの頭に銃をつきつけて、『イスラム教こそ本物の宗教だ』といったら、誰が信じるでしょう」(P200)

宣戦布告とも言える手記そのものだった。


次に、同年12月5日木曜日発売の『武器より一冊の本をください 少女マララ・ユスフザイの祈り』(金の星社)。

マララさんの書いた日記、ニューヨーク・タイムズの2本のドキュメンタリー、銃撃前後のマララさんご自身と彼女の父親のインタビューを、イタリア人ジャーナリストによる編集と翻訳と出版に至った書籍、さすがに心に響く。

父親のぶれない教育、女子教育への熱意がそこかしこに感じられる貴重な一冊。


翌年2014(平成26)年10月29日水曜日発売の『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女』(岩崎書店)は、マララさんご自身による初めての書き下ろし手記。

平和だったパキスタンの日常がテロリストによって、少しずつ恐怖に脅かされていく過程を、マララさんの目線から描かれており...。

一人称ではじまるマララさんの物語を、マララさんに寄り添い、新鮮な気持ちで読み進められる貴重な一冊。


同年11月8日土曜日発売の『マララさん こんにちは:世界でいちばん勇敢な少女へ』(西村書店)は、これまでの集大成そのものか...。

マララに勇気をもらった世界中の女の子たちからのメッセージをつづる写真絵本は、まさに心温まるもの。

巻末では、マララが国連でスピーチした内容を子ども向けにわかりやすく紹介。



話しは戻って、あのノーベル平和賞授賞式。


あの時のマララさんは17歳。

以前から女性と子どもの教育に関して、勇気を出して声を上げ続けて、生命の危険にさらされながらも、、国連の潘基文事務総長をはじめ、欧米諸国そして日本からの賞賛を得るまでのあきらめない勇気には、敬服に値するもの。

結果として得られたのは、賞の受賞による、莫大な諸経費の助成と、身の安全を確保。

以降の活動における範囲の拡大で、多くの子どもたちに、中でもイスラム圏における多くの女性に、教育を普及できたら、どれだけ未来を明るくしてゆくことになるのか...。



あの授賞式におけるスピーチにおける以下の件、将来も末永く語り継がれることになる名言として、全世界の人たちの心に浸透することを祈りたい。



この賞は、私だけのものではありません。教育を望みながら忘れ去られたままの子供たちのものです。平和を望みながら、おびえる子供たちのものです。変化を求めながら、声を上げられない子供たちへの賞なのです。

今、私は彼らの権利のために、そして彼らの声を届けるために、ここに立っています。今は、彼らを哀れんでいるときではありません。教育の機会を奪われた子供たちを見るのを、これで最後にするために、行動を起こすべきときなのです。



そして、これから毎年めぐる7月12日の「マララ・デー」とともに...。

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