羽生結弦 今治 七福タオル
愛媛県今治発の高級ホテル仕様のバスタオルとスポーツタオル『七福タオル』か...。
そして、フィギュアスケート選手・羽生結弦(はにゅう ゆづる)...。
早いうちから、互いに少しずつ育まれてきたんだなあ。
いわゆるブームによる大ヒットとは程遠い(?)ものであっても、人間の静かな温かみの浸透する喜びであればあるほど、末永く愛されてゆくものとして、定着する予感が...。
確かに、フィギュアスケート選手・羽生結弦の2014(平成26)年を振り返れば、まさに充実の年。
この年2月のロシアで開催のソチオリンピックでは、日本人初(アジア人でも初)となる冬季オリンピックでの金メダルを獲得。
続く3月のさいたま市で開催の世界選手権では、2010(平成22)年世界選手権の高橋大輔以来、日本男子シングル種目では4年ぶり2人目の世界チャンピオンに。
まさに、「弓の弦を結ぶように凛とした生き方をして欲しい」と父が命名したとおりの動きで、心から感動。
ここで振り返ってみたくなった。
1959(昭和34)年2月、愛媛県今治市別宮町で創業した、七福タオル株式会社を...。
はじまりは、はるか昔から四国八十八ヶ所をめぐる歩き遍路の人々をもてなす習慣から...。
それに触発されて、自分のものを人のために差し出す気風と風土と伝統を織り込むことを思いつき、伝統的な製造技術と最新技術を巧みに融合させ、素材本来の吸収性のある柔らかさを持続させ、洗濯時に柔軟剤を加えなくても、硬くなりにくいタオルづくりを追究し続けたとのこと。
以後、『七福タオル』は発展して、その販路は日本全国のみならず、香港と台湾、ヨーロッパに北アメリカへ...。
そして、2012(平成24)年12月26日水曜日、ある社員から思いがけないことを知らされることに。
同じ時期に開催の全日本フィギュアスケート選手権で優勝した羽生結弦選手からのサイン入りのお礼のハガキが見つかって、大喜び。
そのサイン入りのお礼のハガキの日付は、2010(平成22)年8月10日火曜日。
そこから、さかのぼること2年9ヶ月前...。
2010(平成22)年3月の世界ジュニアフィギュアスケート選手権で優勝して間もない頃の羽生選手は、演技終了の際、感動したファンから花束と七福タオルをプレゼントされて心を打たれ、そのファンと七福タオル株式会社宛に、サイン入りのお礼のハガキを郵送。
この当時16歳だった羽生結弦選手は、まだ無名に近く...。
ハガキを受け取った後の七福タオル株式会社は、一角のショールームに飾っておいただけだったが、シニア移行後より、羽生選手が少しずつ脚光を浴びるようになってしばらくした頃、先ほどの優勝。
社長はじめ社員一同は、当時の羽生結弦選手の心からの感謝の気持ちにただひたすら感激...。
聞くところによれば、スケート選手は他のスポーツに比べ、かなり費用がかかると言われていて、中でもスケート靴を手入れするハンドタオルは、かなりの消耗品。
脚光を浴びスポンサーの後押しのある選手ならばともかく、それがない無名の選手にすれば一番の必需品。
それを知った心あるファンは、気軽に使ってもらえるハンドタオルをプレゼントしようと考えをめぐらせるうちに、七福タオルを知ることに...。
日本古来の福の神である"七福神"、
すなわち「七福」ならば縁起が良い!
誰であれあやかりたくなるものだろうなあ。
そして時は流れ、縁起の良さに導かれた甲斐あって、優勝の相次ぐことになって...。
そして、ソチオリンピック金メダル獲得...。
表彰後のインタビューでの羽生選手は、笑顔をあまり見せなかったという。
ベストの演技ができなかったという気持ちと、(金メダルの)実感が湧かなかったことも、理由に入るものの、あの東日本大震災での自身の被災や同じく被災した多くの人たちことが、一番大きかったとか。
羽生選手自身、被災してしばらく後に、(練習拠点を移すためカナダの)トロントに行ったことで、こんなことで良かったのかなという思いが強かったらしく...。
「宮城県、仙台市、東北、被災地の支援をしてくださった方々がたくさんいると思うので、感謝の気持ちを持っておかなきゃいけない」との被災地の人々への謝辞、忘れない。
羽生結弦選手の愛用で脚光を浴びることとなった七福タオルか...。
触れる度に思わず頬をうずめたくなるくらいに心が安らげる、赤ちゃんの肌のようなタオルは、末永く使いたくなるもので...。
これからの羽生結弦選手はもちろん、一日一日を懸命に生きている人たちや、人身事故や自然災害などでに傷ついた人たちに、七福神のお恵みが届きますように!
2014-11-06 |
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